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「北陸、いるか?」
日付が変わる時刻。終電の運行が終わったのを見計らい、東海道は北陸の部屋の扉を軽く叩く。
「東海道先輩?」
扉を隔てた向こうに愛しい相手がいると知り、北陸は表情を輝かせて扉を開いた。
「どうしたんです?こんな時間に。あ、でも何が用事でも嬉しいな‥‥先輩が僕の部屋に来てくれるなんてっ!このまま戻らなくてもいいんですよっ!」
ドアを開いた刹那、無邪気に抱きついてくる北陸を書類を挟んだバインダーで遮る。
長野と呼ばれていた時代 彼が子供の頃なら、甘んじて受けてもいいと思うけれど。
体格も思考もすっかり『大人に』なってしまった彼の抱擁を何の抵抗もなく受けられるほど、東海道は「鈍く」なかった。
そもそも何気なく最後に言われた台詞も不穏すぎる。
「‥‥すまん、着替えの最中だったか」
数歩分の距離をとった東海道は、そこで初めて相手が上半身に何も着けていない事に気がついた。
途中まで同じ線路を共有する同僚 彼にとっては先輩 に、そんなところまで影響を受けてしまったのかと一瞬不安が過ぎるが。普段、業務中の彼はきっちりと首元まで制服を着込んでいたと思い出して安堵の息を吐いた。
「えぇ、ちょっと金沢から富山の辺りがひどい豪雨で。今はもう雲も晴れているようですけれど‥‥山陽先輩や東海道先輩の方も夕方とかひどかったんじゃないですか?」
西日本を襲った雷をともなう集中豪雨は北陸地方をも巻き込み、空陸海の交通路全てに影響を及ぼしていた。
どうやら、北陸は車体だけでなく本人もその被害に遭ったようだ。見ると、彼の鳶色の髪もしっとりと濡れている。
「あぁ、その件で一言言っておこうと思ってな。今日、終電まで遅延を引きずったそうだな?この程度の天候の荒れで運行に支障を出すようでは、まだまだ一人前とは言い難いぞ。我々は高速鉄道として、常に平常の運行を誇りと義務を持っているのだからな」
顰め面で説教をする東海道だが、もちろん彼自身も荒天の煽りを食って遅延と運行本数減少という影響を出している。
山陽やジュニアが聞いたら『お前(兄貴)もだろ』とツッコむところであった。
「はい。すみません。東海道先輩が安心して接続できるように、僕、もっと頑張ります!」
だが、北陸は別に突っ込まない。
その代わり、反省よりも前向きな決意を熱い視線とともに東海道へ向ける。
『接続したいという欲望は、求婚みたいなものだという話を北陸とした』
そう言えば、上越からそんな話を聞いていた事を思い出す。
これ以上は追及しないでおこう 東海道は蛇が出そうな藪をつつくのを避け、話をそらそうと試みる。
「そ、それにしても、本当に‥‥随分体格が変わってしまったんだな」
ごほんとわざとらしく咳払いをしてから、急激な変化を遂げた後輩をまじまじと見つめる。
自分より高くなってしまった背。薄すぎず厚すぎず、全体的に均整が取れた肉付きの体格。
素肌の上半身が否応なしに北陸の顕著な変貌を認識させる。
開業をすると、そんなにも変わるものなのだろうか‥‥
前身から高速鉄道だからだろうか。急行時代を持つ自分とは違う成長度合いに、多少の困惑を抱かざるを得ない。
否、これは 羨望なのだろうか
「やっぱり、まだ慣れませんか‥‥?でも、安心してください先輩。僕のこの身体は長野の頃から先輩だけのものですから、ちゃんと綺麗なままなんですよ!いつでも先輩をお嫁にできます!」
ぶばっ
ぼっ
感傷と葛藤を吹き飛ばすような発言に、東海道は沸騰しきったヤカンのような音を立てて盛大に吹き出した。
「北陸!わ、私は女ではないぞ!」
「あ、じゃあお婿がいいですか?僕、これでも炊事・洗濯・裁縫、いろいろ得意になったんですよ。東海道先輩に教わったこと、忘れないで身に付けましたから!」
「いや、そういう意味でなくてだな‥‥っ」
「そうだ、先輩は経験豊富な方がいいですか?僕、それだけは自信がないです‥‥でも、先輩以外の人となんて考えられないです。だから、お互いがんばりましょうね!」
話を逸らす隙すらも与えず、ここぞとばかりに力説する。
上半身を露わにして、しっとりと濡れた髪で。
無邪気に、真剣に、強引に迫られて 東海道は言葉が詰まる。
至って不本意な誘惑だというのに 真摯な眼差しと懸命な表情が長野時代の顔と被って、ほだされてしまいそうだ。
『私はそのつもりはない 今までも、これからも!』
勢いに飲まれてはいけない 東海道は慌ててふるふると頭を振りかぶった。
「‥‥話はいじょうだ!私はもう戻る!」
『いじょう』の変換は『以上』なのか、それとも『異常』なのか。
どちらにしろ、これ以上相手をしていられない 東海道はもう聞く耳もきく口も持つつもりはなかった。
喉の奥で詰まったままの言葉を繋いで文脈を形成し、話を無理やりぶった斬って素っ気なく背中を向ける。
全く、いつから どうして彼はこうなってしまったのだろうか。
上越の影響に違いないと責任転嫁して一人で納得する。自分の教育が間違っていたという疑いは欠片も抱かなかった。
「はい、わかりました‥‥」
北陸は神妙な声で頭を下げる。だが、態度で示しているほど彼は反省していなかった。
つれない拒絶は常のこと。この程度の反応でめげるような子供心は路線が延びて名前を変えたときに捨てている。
『先輩は本当に可愛いなぁ』
むしろ 無防備な東海道の後ろ姿にいたずら心を刺激される。
小さな欲求は衝動となって発露する。歩き出そうとする東海道より早く、俊敏な動作で彼への距離を詰めて。
丁度いい高さにある肩を背後から抱きしめ、耳朶の後ろに唇を寄せて囁いた。
「おやすみなさい、東海道先輩」
ちゅ、っと小さく音を立てて耳に触れた後、即座に彼を手放し部屋の中へ逃亡を図った。
束の間の、ささやかな襲撃に東海道は反応できなかった。
数秒後、我に返った頃には既に北陸の姿はなく。取り残された東海道は怒りの矛先も文句を言うタイミングも失って途方に暮れるしかなかった。
『今日はこれで我慢しておきますね、先輩』
閉じた扉の向こう側の、困惑している気配に北陸の頬が緩む。
ドアに重心を預けながら、北陸はそう呟いた。
日付が変わる時刻。終電の運行が終わったのを見計らい、東海道は北陸の部屋の扉を軽く叩く。
「東海道先輩?」
扉を隔てた向こうに愛しい相手がいると知り、北陸は表情を輝かせて扉を開いた。
「どうしたんです?こんな時間に。あ、でも何が用事でも嬉しいな‥‥先輩が僕の部屋に来てくれるなんてっ!このまま戻らなくてもいいんですよっ!」
ドアを開いた刹那、無邪気に抱きついてくる北陸を書類を挟んだバインダーで遮る。
長野と呼ばれていた時代 彼が子供の頃なら、甘んじて受けてもいいと思うけれど。
体格も思考もすっかり『大人に』なってしまった彼の抱擁を何の抵抗もなく受けられるほど、東海道は「鈍く」なかった。
そもそも何気なく最後に言われた台詞も不穏すぎる。
「‥‥すまん、着替えの最中だったか」
数歩分の距離をとった東海道は、そこで初めて相手が上半身に何も着けていない事に気がついた。
途中まで同じ線路を共有する同僚 彼にとっては先輩 に、そんなところまで影響を受けてしまったのかと一瞬不安が過ぎるが。普段、業務中の彼はきっちりと首元まで制服を着込んでいたと思い出して安堵の息を吐いた。
「えぇ、ちょっと金沢から富山の辺りがひどい豪雨で。今はもう雲も晴れているようですけれど‥‥山陽先輩や東海道先輩の方も夕方とかひどかったんじゃないですか?」
西日本を襲った雷をともなう集中豪雨は北陸地方をも巻き込み、空陸海の交通路全てに影響を及ぼしていた。
どうやら、北陸は車体だけでなく本人もその被害に遭ったようだ。見ると、彼の鳶色の髪もしっとりと濡れている。
「あぁ、その件で一言言っておこうと思ってな。今日、終電まで遅延を引きずったそうだな?この程度の天候の荒れで運行に支障を出すようでは、まだまだ一人前とは言い難いぞ。我々は高速鉄道として、常に平常の運行を誇りと義務を持っているのだからな」
顰め面で説教をする東海道だが、もちろん彼自身も荒天の煽りを食って遅延と運行本数減少という影響を出している。
山陽やジュニアが聞いたら『お前(兄貴)もだろ』とツッコむところであった。
「はい。すみません。東海道先輩が安心して接続できるように、僕、もっと頑張ります!」
だが、北陸は別に突っ込まない。
その代わり、反省よりも前向きな決意を熱い視線とともに東海道へ向ける。
『接続したいという欲望は、求婚みたいなものだという話を北陸とした』
そう言えば、上越からそんな話を聞いていた事を思い出す。
これ以上は追及しないでおこう 東海道は蛇が出そうな藪をつつくのを避け、話をそらそうと試みる。
「そ、それにしても、本当に‥‥随分体格が変わってしまったんだな」
ごほんとわざとらしく咳払いをしてから、急激な変化を遂げた後輩をまじまじと見つめる。
自分より高くなってしまった背。薄すぎず厚すぎず、全体的に均整が取れた肉付きの体格。
素肌の上半身が否応なしに北陸の顕著な変貌を認識させる。
開業をすると、そんなにも変わるものなのだろうか‥‥
前身から高速鉄道だからだろうか。急行時代を持つ自分とは違う成長度合いに、多少の困惑を抱かざるを得ない。
否、これは 羨望なのだろうか
「やっぱり、まだ慣れませんか‥‥?でも、安心してください先輩。僕のこの身体は長野の頃から先輩だけのものですから、ちゃんと綺麗なままなんですよ!いつでも先輩をお嫁にできます!」
ぶばっ
ぼっ
感傷と葛藤を吹き飛ばすような発言に、東海道は沸騰しきったヤカンのような音を立てて盛大に吹き出した。
「北陸!わ、私は女ではないぞ!」
「あ、じゃあお婿がいいですか?僕、これでも炊事・洗濯・裁縫、いろいろ得意になったんですよ。東海道先輩に教わったこと、忘れないで身に付けましたから!」
「いや、そういう意味でなくてだな‥‥っ」
「そうだ、先輩は経験豊富な方がいいですか?僕、それだけは自信がないです‥‥でも、先輩以外の人となんて考えられないです。だから、お互いがんばりましょうね!」
話を逸らす隙すらも与えず、ここぞとばかりに力説する。
上半身を露わにして、しっとりと濡れた髪で。
無邪気に、真剣に、強引に迫られて 東海道は言葉が詰まる。
至って不本意な誘惑だというのに 真摯な眼差しと懸命な表情が長野時代の顔と被って、ほだされてしまいそうだ。
『私はそのつもりはない 今までも、これからも!』
勢いに飲まれてはいけない 東海道は慌ててふるふると頭を振りかぶった。
「‥‥話はいじょうだ!私はもう戻る!」
『いじょう』の変換は『以上』なのか、それとも『異常』なのか。
どちらにしろ、これ以上相手をしていられない 東海道はもう聞く耳もきく口も持つつもりはなかった。
喉の奥で詰まったままの言葉を繋いで文脈を形成し、話を無理やりぶった斬って素っ気なく背中を向ける。
全く、いつから どうして彼はこうなってしまったのだろうか。
上越の影響に違いないと責任転嫁して一人で納得する。自分の教育が間違っていたという疑いは欠片も抱かなかった。
「はい、わかりました‥‥」
北陸は神妙な声で頭を下げる。だが、態度で示しているほど彼は反省していなかった。
つれない拒絶は常のこと。この程度の反応でめげるような子供心は路線が延びて名前を変えたときに捨てている。
『先輩は本当に可愛いなぁ』
むしろ 無防備な東海道の後ろ姿にいたずら心を刺激される。
小さな欲求は衝動となって発露する。歩き出そうとする東海道より早く、俊敏な動作で彼への距離を詰めて。
丁度いい高さにある肩を背後から抱きしめ、耳朶の後ろに唇を寄せて囁いた。
「おやすみなさい、東海道先輩」
ちゅ、っと小さく音を立てて耳に触れた後、即座に彼を手放し部屋の中へ逃亡を図った。
束の間の、ささやかな襲撃に東海道は反応できなかった。
数秒後、我に返った頃には既に北陸の姿はなく。取り残された東海道は怒りの矛先も文句を言うタイミングも失って途方に暮れるしかなかった。
『今日はこれで我慢しておきますね、先輩』
閉じた扉の向こう側の、困惑している気配に北陸の頬が緩む。
ドアに重心を預けながら、北陸はそう呟いた。
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